大切なのはイメージを持つことである。
	自分自身が思いやりや愛情を持つイメージであり、豊かで幸福な状況に対するイメージである。
	老人と女には、このイメージを持つことができなかったのであろう。
	山頂に辿り着くイメージを持たない人が、どうして山頂に辿り着くことができるだろうか?
	相手に対して、状況に対して愛のイメージを持たない人には、それが与えられないのである。
	わたしがここに来た時に始めて、老人は客観性を抱くことができたのではないだろうか?
	第三者であるわたしが仲介したことで、冷静さを取り戻し、わたしの持つ愛によって、老人の中にも愛のイメージが沸き起こったのだと推測する。
	感情の縺(もつ)れを解消することは単純な作業である。
	しかし、互いが協力しなければ達成されないものだ。
	わたしが仲介したのは、両者が協力することがなかったからである。
	両者が協力するのであれば、第三者のわたしが仲介する必要など、どこにもないのである。
	
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