”神”の抑止を失った人間は傲慢(ごうまん)に至るだろう。
	自分が偉いのだと思い込み、自分勝手に振る舞うようになる。
	そこには、”神”のためだとか、全体のためだとか、国のためだとかいう意識は薄れる。
	仲間のためだとか、家族のためだとか、自分の大切に思える対象に対しては善いように振る舞うが、そうではない対象には容赦(ようしゃ)が無くなる。
	それは争いに発展するのだ。
	”神”への畏怖や尊敬があれば、人は自分勝手に振る舞うことはなくなる。
	勿論、それが”神”という対象でなくても良い。
	わたしは宗教家ではない。
	何でも良いのだ。
	とにかく、自分自身よりも大きな存在を意識する心の状態が重要なのである。
	
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