良いことと悪いことに分ける行為こそが、偏見を生み出すのである。
認識することができるもの、自分が知っていることだけを善と成し、認識することができないもの、知らないことを悪としてはならないのだ。
現状において、Nは霊を認識することができない。
そして、それがどのようなものであるのかも知らない。
だからと言って、それを否定して良いことなどないのである。
わたしたちは、知らないことに対して好奇心を持ち、知っていることを増やしていかなければならないのだ。
そうやって偏見を取り除いていかなければならないのである。
そのために、わたしはNの心に触れ、それに関係する霊を処理し、必要な光景を見せ、必要な言葉を語るのである。
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