しかしながら、これは感覚であって確証ではない。
	実際に触れるまでは、何事も結論に至ってはならない。
	それは、自分勝手な妄想である可能性が高いからである。
	それに、霊的な存在に騙されているという可能性もあるからだ。
	自分自身の感覚でさえ不用意に信用してはならないのが、この世界の鉄則であるだろう。
	その感覚を理論的に証明していき、矛盾と疑問が少なくなるほどに信用に値するであろう。
	矛盾と疑問が重なり合っている現状においては、何も信用に値しないのだ。
	わたしがこれからやらなければならないことは、自らの得た感覚の証明である。
	そのために、霊的な観点から状況を探っていかなければならないのである。
	積み重なっている矛盾と疑問を、一枚一枚剥ぎ取っていかなければならないのだ。