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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年11月6日火曜日

追憶 2221

そのことが、多くの人には理解することが出来ない。
多くの人は、権威(けんい)に対して主導権を明け渡す。
自分で考えることをせず、誰かや何かに従うのである。
それは、”それ”が一般的に良いとされているからだ。
一般的に良いとされていることに従うことによっては、他者と同じという何の根拠も無い安心感を得ることが出来る。
誰が言い出したかも、やり出したかも分からない方法によって、自らの愚かさを慰(なぐさ)めているのである。
葬儀(そうぎ)で、立派な衣装に身を包み、上等な道具を用い、大衆には理解することの出来ないお経を”合唱”し、煩(うるさ)く太鼓やシンバルを鳴らす・・・
そして、多額の金銭を要求する。
それを行っているのは、邪心(じゃしん)に塗(まみ)れた歪んだ人間である。
ただ、死者を弔(とむら)うだけのことが、このように複雑に歪んだ状態になったのはなぜだろう?

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