錆び付いたネジは、主人に対して反抗する。
主人とは、”神”と呼ばれる存在であるかも知れないし、人生というものであるかも知れない。
社会であるかも知れないし、家族であるかも知れないし、他者であるかも知れないし、自分自身であるかも知れないのである。
自分自身というのは、生まれた後に虚像として作られた自我のことではなく、生まれる前から実像として所有している真我(しんが)のことである。
残念ながら、多くの人は、自らの本分を忘れ、主人に反抗している。
利己的に生きることは、人の生きるべき道ではないのである。
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