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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年11月14日水曜日

追憶 2229

葬儀には必要性を感じることは出来ても、そこに宗教が入り込む必要性は感じられないのだ。
皆が、故人や遺族を思う気持ちがあれば、それで良いのだと思える。
それ以上に大切なものなど存在しないはずだ。
堕落し、腐敗した宗教家に、形ばかりの長い祈りをされ、その上、非常識な報酬を支払ったところで、故人も遺族も浮かばれないだろう。
葬儀の中で、お経を聞いている時程、苦痛な時間はない。
今日の宗教儀式が正しいというのであれば、故人が和尚達に対して怒りを露(あら)わにすることはなく、感謝するに違いない。
残念ながら、宗教儀式によって霊体が安らぎを得ることはないだろう。

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