故人の怒りを無視して、お経は続けられる。
皮肉なことに、故人の怒りに比例するようにしてお経は激しさを増した。
残念ながら、故人の怒りは和尚達には届かない。
例え届いていたとしても、仕事だからやめることは出来ないだろう。
そして、お経によって故人の怒りを静めることが出来るなどと本気で考えてそうである。
葬儀とは本来、故人の冥府(めいふく)を祈る儀式であるだろう。
それと、遺族の気持ちの切り替えのための儀式でもあるのだと思う。
わたしは故人の怒り方を見て、故人と遺族を納得させるために、今日の宗教儀式は必要ないのではないかと思えて仕方ないのである。
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