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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2018年11月27日火曜日

追憶 2242

わたしには、老女の足の痛みは良いことのように思える。
それは、何も知らずに傲慢に生きるよりも、何か一つでも知って謙虚に生きる方が良いと思うからである。
足の痛みは、老女に様々なことを教えてくれるだろう。
不平不満を吐くのは傲慢の現れである。
謙虚さとは、受け入れることであるだろう。
人は、それぞれに避けることの出来ない学びを抱えて生まれてくる。
例えば、わたしは男の身体に生まれたが、それは男の学びを避けることが出来ないということである。
わたしは無知に生まれ、無能を生きている。
それは、わたしに避けることの出来ない学びを導く。
すべては、自らの抱えている傲慢さを正すために必要なことなのである。

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