わたし達人間が、ネジを道具として扱うように、例えば、”神”と呼ばれる存在は人間を道具として扱うだろう。
わたしには、そう思えるのである。
人間は、”神”の道具だと思えて仕方がない。
エンジンが、燃料を使い果たすか、故障して動かなるまで働き続けているように、人間も命を使い果たすまで生き続けている。
”神”の目的は分からないが、道具は、道具として貢献する必要があることは理解することが出来るのである。
自分が”ネジ”であるにもかかわらず、それを理解することが出来ない者は、本分(ほんぶん)を見失って錆び付いてしまう。
それでは、空しいのである。
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