足の痛みによって、動作は鈍くなる。
彼女が自力によって出迎えてくれるまで、わたしは待つことにした。
老女の足は、恐らくは若い時に働き過ぎたために歪んでいる。
多くの苦労があったようだ。
しかしながら、霊的に見れば、老女の足が歪んでいるのは傲慢(ごうまん)の結果である。
傲慢を正すために、様々な苦労を重ねなければならなかったのだ。
その一つが、足の痛みであった。
老女は、足の痛みに対して"恨み"を抱いているが、足の痛みによってわたし達は引き合わされたのである。
そして、人生について、自分自身について、理(ことわり)について、互いに学ぶことが出来ているのである。
足の痛みが無ければ、老女がわたしと会うことも、話を聞くことも無かっただろう。
"普通"の暮らしをしていたに違いない。
もちろん、それが悪いというのではない。
老女の人生の目的は、自らの傲慢を正すことだ。
そのための準備が、これまでの苦労であり、足の痛みであったということを理解しなければならないだろう。
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