それは、遠足が中止になったことに悲しむ子どもと同じような心境である。
わたしの心は死に対して向けられていた。
それを楽しみにしていたのである。
楽しみを奪われることは、人間にとっては悲しいことなのだ。
しかし、わたしはすぐに心を切り替えた。
死ぬことがなければ、生きれば良いのである。
ただ、それだけのことだ。
わたしは与えられた時間や状況を大切にしたいと考え、できる限りそうでありたいと思っている。
”神”が死を導くのであれば、わたしは死ぬのである。
”神”が生を導くのであれば、わたしは生きるのだ。
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