わたしはAに対して、仕事の終わりを告げた。
虎柄の座布団を降りたAは振り返ってわたしに感謝の言葉をくれた。
同じようにわたしも感謝の言葉を返した。
これは、貴重な体験を与えてくれたことへの感謝である。
日常的に考えるのだが、わたしが欲しているのは理解である。
理解することによって、何かを実現するための力になるのではないかと思うのだ。
何かの原理でも良いし、考え方でも良いだろう。
とにかく、何かに対して理解が深まることがなければ、何かを実現することはできないと考える。
Aの中には、わたしには体験することができない体験が存在している。
わたしが自分自身の体験の重箱の隅をどれだけつついても、それ等は決して得られないものである。
それを、擬似的にでも体験することができるのである。
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