だから、恐らくは、わたしには彼の腰に突き刺さっている刀を抜くことが出来るだろう。
そして、彼を腰痛の苦しみから解放することが出来るのではないだろうか?
”神”は、彼に可能性を見ている。
わたしも”神”に倣(なら)い、彼の可能性を見なければならないだろう。
後にどうするか?は、わたしの決めることではない。
それは、彼が自分で決めることなのである。
わたしは、自分に出来ることをただ”神”に従って行うだけだ。
ただ、それだけである。
”神”は、人を試しはしない。
”神”はただ、人を許すのである。
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