光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2019年8月1日木曜日
追憶 2489
それが、どのように未熟な考え方であったとしても、本人にとっては、それが真実であり、信仰(しんこう)すべきものなのである。
それは、幼い子どもが、どのような親でも信じなければならないのと同じだ。
その人にとっては、現状の考え方以外には、信じられるものがないのである。
子どもは、成長することで親の考え方に違和感を覚える。
それは、それが親にとっての必要な考え方であって、自分にとっての必要な考え方でないということに気が付くからだ。
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