病の目的は、歪んだ考えや心を改めさせることだ。
本来ならば、歪んだ考えや心を改めるということが約束されるまで、病に苦しむのが良いだろう。
しかしながら、苦しみが強過ぎれば、歪んだ考えや心を改める意欲を失ってしまうかも知れない。
それでは、意味がないのである。
そのため、歪んだ考えや心を改めるという確約ではなく、歪んだ考えや心を改める可能性を取るということなのであろう。
約束を守らない子どもを叱(しか)ることは悪いことではないと思える。
しかしながら、叱り続けることは悪い影響を与えるだろう。
約束を守らないことを叱ったとしても、別のところでは褒(ほ)めてやるということをしておかなければ、次の約束を守ろうとする意欲は無くなってしまうのではないだろうか?
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