わたし達人間は、愚(おろ)かな存在である。
病を与えてもらいながら、その意味に気が付くことが出来ない。
わたし達は、“神(人生)”の意図を汲(く)み取ることが出来ないのである。
“神”は焦(あせ)りはしない。
何事も慎重に行うのである。
それは、階段を一段ずつ確実に踏み締めて登って行くようなものだ。
“神”は決して愚かなことはしない。
“神”は、わたし達愚かな人間の可能性を見ているのである。
“神”は恐らく、わたし達の結末を知っているであろう。
後にどうなるかを知っていれば、焦る必要はないのである。
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