思いやりを以(もっ)て生きることと、宗教における儀式行為は、”神”への信仰という括(くく)りにおいて同じことである。
分類によっては同じである”神”への信仰は、全く異なる形で表現される。
同じ鉱物であるダイヤモンドとその辺に転がっている石ころは、全く異なる姿形(すがたかたち)をしており、その価値も全く異なっている。
その辺に転がっている石ころをどれだけ集めても、価値を得ることは出来ない。
なぜなら、その辺に幾らでも転がっているからだ。
しかしながら、同じ鉱物であるダイヤモンドには、とても高い価値が与えられる。
それは、見た目に美しく、人の心を強く魅了(みりょう)するということもあるが、それにも増して価値を高めているのは、それが希少(きしょう)だからであるだろう。
ダイヤモンドがその辺に幾らでも転がっているのならば、価値は認められないのである。
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