外を飾ることは、偏見と誤解の結果である。
知恵は、内を飾ることを教えるのだ。
外は、内の結果であるということを理解するのであれば、外を飾る必要がないことを知るだろう。
例えば、”神”に対する信仰というものは、内で行われるものである。
内で行われた信仰が、所作(しょさ)として自然と現れ、外を飾るのである。
”神”への信仰とは、偶像を拝(おが)むことや、念仏や祝詞(のりと)や祈りを唱えることや、儀式を執(と)り行うということではない。
”神”への信仰には、特別な場所も、特別な道具も、特別な方法も必要ないのである。
自らを磨き、思いやりを以(もっ)て生きることこそが、”神”への信仰であるということを理解しなければならないのである。
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