思いやりも低次なものであれば、利己的なものである。
当人には思いやりと思えるものであったとしても、どのように考えても、相手にはそのように認識されないこともある。
それは、外を飾る独り善(よ)がりの思いやりであって、本質的には思いやりとはいえないようなものなのだ。
しかしながら、レベルの違いはあれ、思いやりには変わりがない。
ダイヤモンドから、その辺に転がっている変哲も無い石ころであっても、同じ鉱物なのである。
しかしながら、ダイヤモンドとその辺に転がっている石ころを同じと考える人はいないだろう。
同じ思いやりであっても、全く異なるということを理解しなければならないのである。
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