わたしは天を知らないが、天から現れる天使が光り輝いていて、光に満ちた霊が昇っていくのだから、そこには光が満ち溢れているに違いない。
人の本来の姿は光であると言えるのではないだろうか?
わたしがやっていることは、自分なりに光を灯す作業である。
だから、これは人の仕業としては良いことなのではないかと思えるのだ。
人が人の姿であるためには、生きている時に光を灯す作業をしなければならない。
心の在り方で死後の姿が決まってしまう。
いや、隠してはいるが生きている時の姿も決まっているであろう。
心の在り方は、その人の言動(生き方)によって決まると思える。
闇を抱えては喜びはない。
わたしたちは闇を抱えてはならない。
光を抱えて生きていかなければならないのである。
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