このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2014年4月30日水曜日

追憶 599

Yさんは明るい女性である。
しかしながら、人であるために悩みもするし落ち込みもする。
人である以上は、どのように明るく振舞っている人であっても破滅的でネガティブな思考を抱えて生きているものであろう。
Yさんの心の中にいた女性は、それに共感し、居心地が良かったからそこにいたのである。
楽しい時には明るく賑(にぎ)やかな場所が好きであり、辛い時には暗く静かな場所が好きだ。
人(の心)とはそのようなものであると思える。
建設的でポジティブな思考によって生きている時には、明るい霊や天使などが訪れて力を貸してくれる。
破滅的なネガティブな思考によって生きている時には、暗い霊や悪魔などが訪れて力を貸してくれるのである。


2014年4月29日火曜日

追憶 598

わたしは天を知らないが、天から現れる天使が光り輝いていて、光に満ちた霊が昇っていくのだから、そこには光が満ち溢れているに違いない。
人の本来の姿は光であると言えるのではないだろうか?
わたしがやっていることは、自分なりに光を灯す作業である。
だから、これは人の仕業としては良いことなのではないかと思えるのだ。
人が人の姿であるためには、生きている時に光を灯す作業をしなければならない。
心の在り方で死後の姿が決まってしまう。
いや、隠してはいるが生きている時の姿も決まっているであろう。
心の在り方は、その人の言動(生き方)によって決まると思える。
闇を抱えては喜びはない。
わたしたちは闇を抱えてはならない。
光を抱えて生きていかなければならないのである。


2014年4月28日月曜日

追憶 597

人は人の道に沿って進めば良いのである。
人道を踏み外してしまうと人は人では無くなってしまう。
Yさんの中にいた女性は、人の道を踏み外したから人外の姿を得たのである。
人は優しくあるのが本来の姿ではないかと思える。
なぜなら、その状態が心地好いからだ。
心地好い状態が自然体だと言えるのではないだろうか?
Yさんの中にいた女性が苦しみを離れて天に帰る時に、わたしは心地好い感覚を得た。
それは、人の霊が天に帰ることが自然であるということを証明しているのだと思えるのだ。

2014年4月27日日曜日

追憶 596

天使と共にいて、霊と触れ合うようになって分かったことは、霊は敵ではないということである。
わたしは霊をかわいそうだと思うのだ。
何とかして助けてやりたいと思うのである。
そのために、わたしは自分なりに一生懸命にやっているのである。
苦しんでいる霊を助けたいと思うのだから、わたしはまだ救いようがあるのではないかと思える。
相手が苦しんでいるにもかかわらず、更に攻撃するようになっては人として終わりだろう。
わたしは天使と共にいるのであって、悪魔と共にいるのではないのだ。
苦しんでいる人(霊)がいたなら助けてやる。
それが人の道であるだろう。

2014年4月26日土曜日

追憶 595

「出て行け」と言うのは簡単である。
しかしながら、出て行けと言われた相手は恨みを以て仕返しをする。
それでは却(かえ)って状況を悪くしているのである。
しかしながら、多くの人はそれに気が付かない。
そのため、自分に不利に働く相手を責め立てるのである。
多くの人は気に食わない目の前の他人を非難する。
霊が見えているはずの霊能力者と呼ばれている人たちでさえ、霊を自分の中だけで悪者に仕立て上げて非難しているのである。
霊に向かって「この人から出て行け」とか、「悪霊退散」などのやっているのを見ると滑稽(こっけい)さを感じてしまう。


2014年4月25日金曜日

追憶 594

わたしは誰かを批判したい訳ではないが、霊能力者と呼ばれている人たちの大半は、その人から霊を引き離すことが善行であり、その人のためだと思っている。
お祓いという言葉があるが、天使と共にいるようになってからは、霊は祓うものではないと理解するようになった。
更には、悪霊と呼んで悪者に仕立て上げ、恐怖を煽(あお)っているのだ。
霊は悪者ではないし、埃(ほこり)のように祓うものではない。
霊は苦しんでいるのである。
悪霊と呼ぶ程の闇を抱えた霊は、その心に多くの苦しみを抱えているだけなのである。
人も苦しみを抱えると捻くれてしまう。
人も霊も同じである、ということを理解しなければならないのである。

2014年4月24日木曜日

追憶 593

わたしは疲労の中に満足感を覚えていた。
力を使い果たして精一杯だった。
しかし、わたしにはまだやらなければならないことがあった。
それは、Yさんの心の中で体験したことを本人に伝えることである。
苦しんでいる破滅的な霊を天へと帰すのは霊に対する仕事である。
それは、霊にとっての利益だ。
これは人に対する仕事ではない。
体験したこと(霊から得た教訓)を伝えることで初めて、それは人に対する仕事になるのである。
人から霊を引き離すことだけでは意味がない。
それでは人が豊かな人生を生きて幸福になることはないのである。

2014年4月23日水曜日

追憶 592

ラミエルが差し出す白い指に、彼女はか細い指を重ねた。
彼女の表情を知ることはできなかったが、その背中からは喜びが溢れているように感じた。

「後に喜びがあります」

ラミエルが口元を上げて言った。
わたしはここで、大天使ミカエルの言葉が実現したことに気が付いたのであった。
ラミエルが彼女を引き上げるようにして天が塞がった。
いつの間にかにわたしは懐かしい暗闇を眺めていた。
それは瞼(まぶた)の裏側である。
五感が鮮明さを増し、わたしは仕事の終わりを理解した。

2014年4月22日火曜日

追憶 591

「・・・おもしろい人」

彼女は気恥ずかしそうに笑った。

「ありがとう」

再び感謝を伝えた彼女は、二度とわたしを振り返りはしなかった。
彼女のか細い身体は、まるで落ち葉が風に巻き上げられるようにふわりと宙に舞い、光に吸い寄せられるようにわたしを離れた。
わたしは少しの寂しさと大きな喜びを感じて彼女を見送った。
わたしが手を振っていたことに彼女は気が付いただろうか?
そんなことを考えていると、天の光が降り注ぐ場所に人影が見えた。
それは、ラミエルであった。
ラミエルは天使であり、Hさんの守護者である。
そのラミエルが彼女を迎えるように優しく手を差し出していた。

2014年4月21日月曜日

追憶 590

彼女の穏やかで優しい表情を見ていると、時間が迫っているということを悟らざるを得ない。
わたしたちはお別れしなければならないのである。
彼女はあの光へと「帰り」、わたしは世の中へと帰るのである。

「ありがとう」

彼女が言った。

「ありがとう」

わたしも同じように返した。
彼女はわたしに背中を見せ、光を見上げていた。
その背中からは喜びと決意が感じられた。
その時、天から太い光の柱が下り、彼女を包んだ。

「またね」

わたしが言うと彼女は笑っていた。

2014年4月20日日曜日

追憶 589

わたしは嬉しくなって、彼女に微笑みかけた。
彼女も嬉しくなったのか、微笑み返してきた。
その瞳には既に涙はなかった。
何かを決意したような力強い瞳であったのだ。
その時、天から光が射し、それが女性の頬に当たった。
彼女は振り向いて天を仰ぎ見た。

「あれは…」

彼女がそうつぶやく。
わたしはただその光が美しいと思っていた。
彼女が振り向いてわたしを見た。
その表情は何かを悟ったように穏やかであり、尚且つ力強いものであった。

2014年4月19日土曜日

追憶 588

人は足るを知る必要があるだろう。
それがどのような状況や環境であろうとも、それに満足を覚えなければならないのである。
今のレベルに満足することができない者には、それ以上の満足が与えられる訳もないだろう。
自らの状況に満足することができていたなら、この女性が苦しむことも、黒い姿になることもなかったであろう。
わたしたちは自らの状況に対して満足して初めて、更なる幸福を得ることができるのである。
女性と向き合っていると、このような考えが頭の中に生じる。
その考えはこの女性にも「聞こえて」いたのだろう。
それは、涙を満たした美しい瞳が、強い意志を秘めた強い光を宿したように見えたからである。



2014年4月18日金曜日

追憶 587

この女性も本当は幸福を得ることができたのであるが、幸福を得ることができるということを知らなかったがために、幸福を得ることができなかったのだ。
この女性が誰で、何をしていたのか?ということは何の意味も持たない。
人は、誰で何をしていようとも、必ず幸福を得ることができるのである。
日本という世界最高クラスの文明の中に生きている人でも、不幸な人は数え切れないほどいる。
この恵まれた素晴らしい日本という国に生きていながら、自殺する人が年間三万人近くいるのだ。
自殺を考えている人はその何倍にもなるかも知れない。
その一方、文明の乏しい場所に生きている人でも、幸福を噛み締めながら生きている人は数え切れないほどいるのだ。
自国を出て、日本という国で生活したいと考えている外国人もたくさんいるのである。


2014年4月17日木曜日

追憶 586

人類が成す業(わざ)は、すべて人が幸福になるためのものである。
科学も医学も文学も数学も、あらゆる学問が一つの目的のために生み出され、研究され続けているのだと理解しなければならないだろう。
人はそれぞれが様々な信念を持って生きている。
しかしながら、すべての人が満足し、幸福を得ることができるのだ。
宗教家だけが幸福になり経済学者が不幸になるとか、医者が幸福になり漁師が不幸になるとか、そのようなことはないのである。
どの道を行っても、幸福を得る者は幸福になり、不幸を得る者は不幸になるのである。

2014年4月16日水曜日

追憶 585

肉体(例えば脳)が苦しみを抱えているのであれば、世間では悪霊と呼ばれる苦しんでいる霊がこの世に存在する必要はないのである。
死んで満たされるなら、霊が破滅的な状態で存在しているのは説明が付かないのである。
その理由を説明できない人間が、霊はいないと主張しているのだ。
すべての科学は人の魂から離れることはできないのである。
科学は人の魂を証明するために人が行う学問であるということを多くの人は知っていない。
科学者でさえ知らないのだから、それを専門としていない人たちには尚更である。
すべての道が自らの魂、即ち自己に通じているということを理解することが、人生というものを理解するのには重要なことなのではないかと思える。

2014年4月15日火曜日

追憶 584

死んで終わりならば、どんなに楽なことだろう。
死んで終わりを夢見ている人たちは、生きている時に闘うことをしない。
不満や絶望、そして最終的には自殺という安易な方法によって逃げるのである。
しかしながら、霊というものがいるのだ。
それは、肉体から離れた人の姿である。
残念ながら、人は死んでも終わりではない。
それは、苦しみは肉体にあるのではなく、その心の中に存在しているからである。
そのことを理解しておかなければならないだろう。

2014年4月14日月曜日

追憶 583

光の杭が薄い胸に突き刺さると、彼女は口から黒い煙のような破滅的な意識を吐き出した。
これによって、彼女の心の中からは闇が完全に消えたに違いない。
生前に何があったのかは分からなかったが、今はそれによって思い煩(わずら)うことはないであろう。
苦悩がなければ、人は人生の歩みを進めることができる。
わたしは霊と関わるようになって、死が人の道の終わりではないということを理解した。
人は命を手放した後に霊体となる。
一般論での命というものは、肉体のことを指し示しているとわたしは考えている。
肉体が滅びることを命が失われると解釈し、そう言っているのだろう。

2014年4月13日日曜日

追憶 582

わたしは喜びに満たされて彼女の美しい瞳を見つめた。
これまでの苦労は消え去っていた。
喜びが溢れる心の中には光があった。
わたしはその光を覗き込み、それが何であるのかを理解した。
わたしが心の中でそれを掴むと、わたしの身体は宙に手を伸ばし、人差し指と中指を使ってそこに一筋の線を引いた。
それは光の杭となって現れた。
光の杭を掴むと、心の中に更なる喜びが沸き起こるのを感じて嬉しかった。
目の前の女性は、光の杭が放つ輝きに対して眩しそうに目を細めている。
わたしは時が満ちたのを知って、光の杭を女性に対して投げ放った。
光の杭は一直線に女性の胸に突き刺さった。

2014年4月12日土曜日

追憶 581

怒りに満ちた叫び声はやがて泣き声に変わった。
そこにはもう怒りの感情は存在しなかった。
目の前には一人の女性がいた。
彼女は溢れ出る涙を拭おうともせずにいる。
わたしを真っ直ぐに見つめる瞳には光があった。
わたしは喜びが心の中に溢れるのを感じた。
彼女は抱えていた苦しみを手放すことができたのである。
彼女は救われたのだ。
苦しみを手放すことはなんと嬉しいことだろう。
わたしたちは苦しみを抱えて幸せを得ることはできないのである。
彼女には、生前に何らかの苦しい体験があったに違いない。
それは彼女を黒い姿に変えてしまう程の体験であったのだろう。
それを抱えたままで幸せになろうとして歪んでしまったのである。

2014年4月11日金曜日

追憶 580

髪の毛の中には血走った眼球が見て取れた。
先程までは真っ黒な穴のように思えた目に瞳が存在していたのである。
わたしはそれが嬉しかった。
怒りの感情がわたしに向けられていたが、それはかなり弱まったのだろう。
わたしはそこに希望を感じた。
そして、その先にはこの霊の本当の姿があると確信するのである。
怒りの感情に支配されることの苦しみは、それを経験したことのあるわたしには十分に理解することができる。
だから、この霊が苦しんでいることも分かるのである。
わたしはこの霊を苦しみから助け出したいという思いに突き動かされ、破滅的な意識を取り除くことに努めた。

2014年4月10日木曜日

追憶 579

わたしが黒い煙のような破滅的な意識を吐き出すに従って、霊からは闇が取り除かれていった。
破滅的な意識が取り除かれるのと比例して、わたしは気分が楽になるのを感じていた。
それはとても素敵なことである。
わたしは喜びが少しずつ大きくなっていくのを感じた。
霊の闇が薄まると、その姿が変化し始める。
全身が黒い姿であった霊は、その奥に肌色を覗かせていた。
わたしにはそれが顔であると思えた。
そして、顔が黒い髪の毛の中に埋れているのだと確信したのである。

2014年4月9日水曜日

追憶 578

わたしの喜びは、この霊が破滅的な意識から解放されて、Yさんを解放することである。
わたしはYさんに幸せになって欲しい。
それと同じくらい、この霊にも幸せになって欲しいと願っているのである。
わたしが黒い煙のような破滅的な意識を吐き出せば、即ちそれは霊の苦しみを取り除くことになる。
幸せの実現は、目の前の問題を一つ一つ解決することであり、小さな喜びを一つ一つ積み上げていくことであるだろう。
苦しんでいる霊を助けているのだと考えると、苦しみは喜びに変わるのである。

2014年4月8日火曜日

追憶 577

喜びが大きくなるのに合わせるようにして、黒い煙のようなものが溢れる量も増した。
ネガティブな心を取り除くには、ポジティブな心が必要である。
わたしの喜びが大きい程に仕事は捗(はかど)るのである。
何をやるにしても心が原因であるだろう。
やる気のある者が成果を上げるのは、何をしても同じなのだ。
やる気とは喜びによって生じる感情である。
喜びがなければやる気もないために、何をしても上手くはいかないだろう。
わたしはこの黒い煙のようなものが破滅的な意識であり、それによってこの霊が闇にとどまっているのを知っている。
どのくらいの量の破滅的な意識を所有しているのかは分からないが、それをすべて取り除かなければ話は進まないだろう。
わたしはより大きな喜びを生み出し、より多くの黒い煙のようなものを取り除くだけである。

2014年4月7日月曜日

追憶 576

苦しいと思う気持ちが無くなった時、わたしは気分が晴れ渡るのを認識した。
黒い煙のようなものが口から大量に溢れるのは大変ではあったが、それが喜びに変わっていたのである。
嫌な気分がなければ、何をやっても楽しい。
心はすべての状況に勝るのである。
同じことをやって幸福になる人があり、反対に不幸になる人があるのは、心によって選別されたからなのである。
そうでなければ、わたしは今もこの状況に苦しみを感じていただろう。
状況は何も変わってはいないのである。
場所が悪い、仕事が悪い、付き合っている人間が悪い、時期が悪い…
このように考える人は愚かである。
人を決めるのは、自分自身の心であるということを覚えておかなければならないのである。

2014年4月6日日曜日

追憶 575

気分は最悪であった。
吐き気と眩暈(げんうん)と憂鬱(ゆううつ)が同時に襲ってくるのである。
わたしはこの状態を苦しいとしか思えなかった。

「後には大きな喜びがある」

その時、わたしの頭の中に大天使ミカエルの声が響いた。
それは、礼拝堂の鐘のように優美な響きであった。
わたしはその美しい響きの言葉を素直に信じることができた。
わたしが恐ることなど何もないのである。
わたしは、わたしにできることを一生懸命にするだけなのだ。
結果がどうなるのか分からないのに、それをあれこれ考えても無駄であろう。
気苦労が増すだけで、何も良いことはない。
わたしは苦しいと思うことをやめた。

2014年4月5日土曜日

追憶 574

地鳴りのような唸り声は、やがてやかんが沸騰した時のような高音に変わった。
わたしは寒気を感じていた。
血の気が引くような感覚を覚えて身体が硬直したのである。
思考が停止して、わたしは呆気に取られていた。
しかしながら、次の瞬間には自分が何をするべきなのかを思い出していた。
わたしは恐れを感じながらも、この霊に対する哀れみと思いやりによって手を伸ばし、その黒い身体を引き寄せたのである。
すると、強烈な吐き気を覚え、口からは再び大量の黒い煙が溢れた。


2014年4月4日金曜日

追憶 573

黒い煙が口から大量に溢れる時、わたしは悲しみを感じていた。
わたしには悲しいことなど何もない。
しかしながら、悲しいという感情が心の中に溢れ、それが次第に大きくなるのである。
この感情は何だろう。
どこから来るのか?
わたしにはその悲しみが気になって仕方なかった。
その時、目の前の霊が叫び声を上げた。
口は見えないが、その声は目の前の霊が発しているのだと理解することができる。
その叫び声には悲しみが含まれていた。
わたしにはそれが泣いているのではないかと思った。

2014年4月3日木曜日

追憶 572

人は考え方や価値観を歪めることによって、その姿を変えていく。
人は考え方や価値観によって天使にもなり、悪魔にもなるのである。
わたしがしなければならないことは、この霊を間違った道(歪んだ価値観)から引き戻し、正しい幸福の道へと導くことである。
この霊は破滅的な性質を持っているために、その影響が何らかの形でYさんに届くのを懸念してのことであった。
そのように感じた時、わたしは胸の奥から込み上げてくるものを認識した。
それは黒い煙のようなものであった。
それがわたしの口から大量に溢れている。
それはとても苦しかった。
無理矢理に嘔吐すさせられるような苦しみである。

2014年4月2日水曜日

追憶 571

わたしの正義は安らぎである。
この霊の正義は苦しみである。
Yさんは安らぎを求めてわたしを訪ねて来たのだ。
Yさんが求めているのはわたしの求めている正義と同じであるだろう。
だから、この霊の求める苦しみは安らぎとは対極に存在しているために受け入れることはできないのである。
わたしはYさんを安らぎへと導かなければならない。
残念ではあるが、この霊には自らの正義を振りかざすのを辞めてもらうしかないだろう。
この霊は幸せの方向性を間違えたのだ。
この霊が初めからこのような姿であった訳がない。
苦しみに向かって進むから、このような人外の姿を得たのであろう。

2014年4月1日火曜日

追憶 570

苦しみが好きな人間は、周りの人にも同じように苦しんで欲しいのである。
人は自分という存在を理解して欲しく、受け入れて欲しいものなのではないかと思える。
わたしがこの霊を何とかして助けたいと思うのも、自分の正義を理解して欲しく、受け入れて欲しいからなのだ。
この霊がわたしに助けてくれなどとは一言も言っていない。
わたしが勝手にそうしたいと思い、そうしているのだ。
わたしは幸せが好きで、この霊にも幸せになって欲しいのである。
もう、苦しいのは嫌だ。
この状況は、わたしの思いに対して大天使ミカエルなどの意識的な存在が、自らの正義を以って参加しているのである。