相手のために、相手に嫌われる可能性のある言葉を伝える時には、そこに自我は存在しない。
そこには、愛が存在しているのである。
愛とは、恐らくは、相手を思いやる気持ちのことだろう。
自分のための気持ちは、愛ではないと思うのである。
愛を以(もっ)て仕事をしなければ、霊的な仕事は完成しない。
宗教は、人々を脅(おど)している。
そのような自覚は無いのかも知れないが、宗教に携わる人達は皆、恐怖によって繋がれているのである。
宗教は、信者を確保するために、自分達に有利で耳障りの良い言葉を用いるだろう。
そうしなければ、信者はいなくなってしまうからだ。
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