彼は60歳を超えていたが、人生に対する満足に年齢は関係ないであろう。
例え100年生きたとしても、人生に満足することが出来ずに、健康と長寿を求める人はいるのである。
彼は、癌のおかげで死に向き合う時間を与えられた。
死に向き合うことによってそれに満足し、人生に満足を得たのではないかと思えるのである。
もしも、彼が癌ではなく、他の事で突如(とつじょ)として死を得ていたのであれば、葬儀の時に笑顔で挨拶して回ることもなかったのではないだろうか?
避けられないことを知ったので、死を受け入れる心構えが整ったのである。
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