葬儀が、”残された”者たちへの慰(なぐさ)めであるというのであれば、わたしは納得することができる。
それならば、遺影に向かってではなく、参列者に向かって経を唱えるのが正解だと思うのだ。
わたしには、葬儀という儀式が、それを執(と)り行う者たちの自己満足に過ぎないと映ってしまうのである。
和尚達の合唱を聴きながら、わたしは炎に焼かれる老女を観察していた。
すると、赤い炎が黒く色を変えているのに気が付いた。
そして、炎の形をしていたものは、人の姿のように変化していく。
ついには、それはたくさんの黒い人影が老女に縋(すが)り付くような構図になったのである。
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