和尚達の”演奏会”が終了し、葬儀も終わりを迎えようとしていた。
それは、同時に老女が老女であることの終わりを意味しているようでもあった。
わたしには見ていることしか出来なかった。
それ以外は許されなかったのである。
わたしが老女に対してどのような形で関わるかを決めるのは、わたし自身の意思ではない。
それは、老女の因果やわたしを”使う”霊的な存在が決めることであろう。
何度も言うが、わたしは自分勝手に力を使うことは出来ない。
もしも、自分勝手に使える力があるとすれば、それは偽物であるだろう。
先程の和尚達の”演奏会”もそうだし、俗に言うお祓(はら)いなどもそうだが、残念ながら偽物の力である。
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