最たる目的は、自分自身の歪みを理解するためだと思える。
そして、霊的な存在に出会うことによって、謙虚さを身に付けさせるためだとも思える。
わたしが生きる世界には、自分よりも優れた霊的な存在がいる。
そのため、わたしは自分が優れているとは思えない。
霊的な存在を知らない人たちは、人間や人間が生み出したものが優れていると思っているだろう。
科学に対する信仰が、その傲慢(ごうまん)さを物語っている。
もちろん、まともな科学者(どのような業種の人でも)であれば、科学が自然法則を発見しているに過ぎないことを理解し、謙虚な気持ちで研究を続けているだろう。
しかしながら、人間が優れていると思っている人は、自分が何者かも分からないのに、何かを分かった気でいるのである。
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