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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2017年6月16日金曜日

追憶 1713

学校の勉強もそうである。
わたしが真面目に勉強するということはなかった。
母親はわたしの為を思ってか、塾に通わせたりしたが、無駄なお金を使ったものである。
わたしは勉強が嫌いであった。
そのため、常識的な既成概念が育つのを免(まぬが)れたのであろう。
真面目に勉強していれば、誰かの思い通りの価値観によって生きることになったはずである。
それは、所謂(いわゆる)、量産型の常識人になり、”立派”に生きていたことだろう。
わたしは無知であったから、後に自分自身で勉強する必要性を感じて、独自の勉強法に至ったのである。
そのため、わたしの常識と一般的な常識は異なる。
わたしは自分自身で情報を収集し、一般的な常識を抱える人たちは、教えられたことを記憶したのである。

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