苦しみながらも泳ぐのは、命が惜しいからではない。
肉体の感覚を主体としている多くの人達には、そのように思えるかも知れないが、人が苦しみながらも泳ぐのは、肉体的な感覚を超えた目的があるからである。
命の継続のために泳ぎ続けることの出来る人はいない。
それは大切なことであるが、そのような動機は、苦しみを前にして簡単に折れてしまうのである。
本能的な動機が強そうに思えるが、本当に強いのは精神的な動機なのだ。
目の前の快楽や欲望を貪(むさぼ)り、苦悩を恐れる子どものような者の動機は、苦しみを前にして簡単に折れてしまう。
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