誰であっても、豊かな死を得なければならない。
豊かな死は、執着を離れた心に訪れるのである。
人が死を意識しながら生きることには価値がある。
それは、不義を犯す可能性を抑えられるということである。
死を意識している人は、霊や神などの死を得ても存在しているものを理解している。
それは、目には映らないこの世の理(ことわり)の存在を理解しているということでもあるだろう。
そのような人が不義を犯す可能性は少ない。
生きるために生きている人は、死後の世界や目には映らない存在を重んじることは出来ない。
生きるために生きている人には、神も仏も無いのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿