わたしは父親と話しながら、同時に"天"とも話をしていた。
"自分の仕事を果たしなさい"
"天"から言葉が下(くだ)った。
初めから大した心配はしていなかったが、その時点において、わたしは心配を完全に手放した。
わたしが母親の死を気にしていないのは、わたしが冷酷な人間だからではない。
わたしは母親に対する依存心を持っていないのである。
母親が生と死のどちらを受けようとも、わたしの人生は続いていくのである。
それに、生死は母親の因果の決めることなのだ。
わたしが心配したところで、母親の因果に影響がある訳ではない。
わたしが心配すれば、それはわたしの因果に影響を与えることになるのだ。
それも、心配による破滅的な影響を与えることになるのである。
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