しかし、権力者が間違った方法を取るように、わたしも間違った方法を取る。
	当時のわたしは権力を握ってはいないし、暴力に訴えることもしなかったが、間違った信仰を所有していたことは確かである。
	それは、無知から生じる浅はかな思想であったに違いない。
	”神”という存在を知らなかったにも関わらず、それを知った気でいたに違いない。
	良く知りもしないのに人々に教えよう、人々を変えようなどという意気込みに思い上がっていたのだ。
	”神”を信仰しているつもりが、いつの間にかに自我を信仰していたに違いないのである。
	その間違った方法がわたしの足枷(あしかせ)となり、苦悩の過去として内に残留したのであろう。
	それが、銀色のアタッシュケースの中に詰まっていた”嫌なもの”の正体である。
	
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