このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2015年10月31日土曜日

追憶 1146

わたしはそれを思い出すために彼女に引き合わされ、彼女の協力を得て自らの問題を解決しているのである。
しかし、最大の目的は彼女への恩返しであったに違いないだろう。
当時、助けてくれた恩を今返す時なのである。
彼女にとっては、わたしが天使などの高次元の存在から導く知恵が必要であったに違いない。
観察すると、人生は相対的なものであり、互いに意味のあるものであると理解することができる。
人は、因果の仕組みによって自らの行為を必ず受ける。
それは、すぐに実現するかも知れないが、来世で実現するかも知れない。
しかし、ベストタイミングによって必ず実現するものなのであろう。

2015年10月30日金曜日

追憶 1145

わたしはこれを取り除く必要があった。
これは成長するために解消しなければならないカルマである。
これを所有し続けていれば、この人生においても間違った信仰を続けることになり、やはり愚者として生きることになるだろう。
生まれ変わって来た魂は、同じことを繰り返すような暇はないのである。
それは、生まれて来た目的のためだ。
これは、わたしに正しい信仰を”思い出させる”ための経験であるだろう。
わたしたちは誰も(善人も悪人も、天使も悪魔も)が、正しいところ(神、光、愛など)から生まれているが、そのことを忘れている。
忘れている状態が無知である。
だから、思い出す必要があるのだ。
思い出すことができなければ、目的を果たすことができないのである。

2015年10月29日木曜日

追憶 1144

しかし、権力者が間違った方法を取るように、わたしも間違った方法を取る。
当時のわたしは権力を握ってはいないし、暴力に訴えることもしなかったが、間違った信仰を所有していたことは確かである。
それは、無知から生じる浅はかな思想であったに違いない。
”神”という存在を知らなかったにも関わらず、それを知った気でいたに違いない。
良く知りもしないのに人々に教えよう、人々を変えようなどという意気込みに思い上がっていたのだ。
”神”を信仰しているつもりが、いつの間にかに自我を信仰していたに違いないのである。
その間違った方法がわたしの足枷(あしかせ)となり、苦悩の過去として内に残留したのであろう。
それが、銀色のアタッシュケースの中に詰まっていた”嫌なもの”の正体である。

2015年10月28日水曜日

追憶 1143

しかし、それを快く思わない者はいつの時代にもいる。
人の世で欲望の権力を所有している愚者(ぐしゃ)は、真理を説く者、心に従って生きる正しい者を弾圧する。
それは、真理の正しさによって自らの欲望の権力が揺らぎ、それを手放さなければならないということを理解するからである。
権力とは、欲望の成せる業(わざ)であるだろう。
支配体制というピラミッド型の人間関係を構築しなければ、権力者は権力を失うのである。
それは、下らない自尊心を保つことができないことへの恐怖に起源している。
言うなれば真理を伝える者は、そのような人の世(心)の歪みを取り除くために生まれるのである。
当時のわたしは、その仕事を完遂(かんすい)するために奔走(ほんそう)していたのだろう。


2015年10月27日火曜日

追憶 1142

意識を合わせると、そこから意思のようなものを感じ取ることができた。
これは、黒い煙の持つ情報である。
それを読み解くと、黒い煙は前世のわたしが生み出した感情であると感じた。
しかし、それはネガティブな性質の感情である。
そして、それは先程の男に関係していると強く感じるのであった。

当時のわたしは(恐らく)東ヨーロッパのどこかの地域で、”神”の教えを広める活動をしていた。
この時の”神”とは真理のことであり、特定の宗教的な布教活動ではなかったと思う。
当時は誰かを師事していて、その教えを広めるために旅を続けていたのだろう。

2015年10月26日月曜日

追憶 1141

光の十字架は、わたしに銀色のアタッシュケースを貫くように告げた。
わたしは意識的にではないが、光の十字架を銀色のアタッシュケースに振り下ろした。
光の十字架は、まるで鍵のようにその口を開かせた。
すると、そこから黒い煙のようなものが大量に飛び出して空中に固まるのであった。
わたしにとって、それは”嫌なもの”である。
しかし、それに触れる必要を感じていた。
わたしは心を静め、目前に浮かぶ黒い煙のようなものに意識を合わせた。

2015年10月25日日曜日

追憶 1140

わたしは銀色のアタッシュケースを今すぐにでも投げ出したかった。
この中には”嫌なもの”が詰まっている。
わたしはそれを遠ざけたい。
わたしはその中身を永遠に忘れたいのだ。
この中には重要な何かがある。
しかし、わたしにとっては不利なものであるだろう。
そうでなければ、ここまでの拒否反応を示すはずがないのである。
しかし、わたしは向き合うと決めた。
乗り越えなければならないのだ。
覚悟を決めて大きく息を吸った。
すると、右手が空中に伸びて、そこに十字を描いたのである。

2015年10月24日土曜日

追憶 1139

銀色のアタッシュケースを引き出す程に頭痛は強くなっているように思える。
ここからは気合いである。
辛抱強く、丁寧に行うのだ。
苦闘の末、わたしは頭の中からそれを取り出すことに成功した。
銀色のアタッシュケースが頭の中から取り出された瞬間に、頭痛は跡形もなく消えた。
気分は晴れ晴れとしていた。
しかし、手に持つ銀色のアタッシュケースからは不快感を得ているのである。
わたしはこれを嫌なものに感じていた。
そして、これが頭痛の原因であると確信したのである。

2015年10月23日金曜日

追憶 1138

わたしは未熟であるが故に成長に対する願望が強い。
少しでも早く、少しでも大きく成長しなければならないと思うのである。
頭痛に耐えながら手を引くと、頭の中に銀色のアタッシュケースが現れた。
わたしが掴んでいるのは、映画で見掛けるそれであった。
なぜ、銀色のアタッシュケースが頭の中から出てくるのかは分からない。
しかし、あるものはあるのである。
これは、わたしの想念が作り出した表現であり、別の人が見れば違うものになるのかも知れない。
霊的な世界は不思議である。

2015年10月22日木曜日

追憶 1137

しかし、向き合わなければならない。
苦悩を以てまで向き合うのは、その先にのみ成長が実現するからであろう。
人生において現れるものは、そのすべてが成長に関することだけである。
そのため、理由が分からなくても、結果は分かっている。
多くの人が苦悩を嫌うのは、すべてが成長という結果に至るということを知らないからであろう。
ただ、それだけの理由である。
わたしは未熟であるにしても、そのことを知っているので、この状況に向き合うことを許されている。
人生は知っていることしか実現しない。
すべては内の現れなのである。

2015年10月21日水曜日

追憶 1136

この矛盾は、心の葛藤そのものであった。
これは心の葛藤を現しているのではないだろうか?
わたしは何を出したいと思い、出すのを恐れているのだろう?
自分自身と向き合うには勇気が必要である。
長短のすべてを受け入れる覚悟が必要であるだろう。
わたしはどこかで、内側から出てくる何かを恐れているのである。
それは、何であるかも忘れてしまった過去に封印した記憶。
思い出したくもない感情に違いない。

2015年10月20日火曜日

追憶 1135

ある程度黒い煙を吐き出した時に、何かが引っ掛かるような感覚を得た。
黒い煙は弱くなり、それ以上は出なくなった。
しかし、頭痛は強くなった。
わたしは自分の意思に反して、自らの頭に手を伸ばした。
そして、そのまま頭蓋骨の中に手を差し入れた。
そのまま奥の方を手探りすると、何か硬いものに触れる。
それを掴むと、妙に手に馴染んだ。
不思議な感覚である。
それを引き抜くのは簡単ではない。
出してくれと言いながら、出るのを拒絶するのである。


2015年10月19日月曜日

追憶 1134

唸り声と共に吐き出される黒い煙を眺めていると、何かが内側から外側へと出たいのではないかと強く感じるようになった。
頭痛は、内側に存在する何かが、わたしに気付いて欲しいためのサインなのではないだろうか?
それは、まるで扉を叩くようである。
わたしの深層に存在している潜在(無)意識が、表層の顕在意識に対して応答を求めている。
わたしにはそのような意思を感じるのである。
黒い煙はずっと上昇し、その果ては光の先に消えている。
頭痛と吐き気などの体調不良を抱えながらも、わたしはその光景に見惚れていた。
そのため、これを苦痛だとは思わなかった。
寧(むし)ろ、何か良いことが起きるような予感を得ていたのである。

2015年10月18日日曜日

追憶 1133

わたしが前世の記憶を彼女に話して聞かせた時、強烈な頭痛が起きた。
それは、頭蓋骨の内側から金槌(かなづち)によって打たれているような感覚である。
頭の中から何かネガティブなものが出てきているのではないかと思った。
わたしの瞼は強制的に閉じた。
頭痛と共に込み上げる感情がある。
それは、肉体を通じて大きな唸(うな)り声のような形として表現される。
意識ははっきりとしていて、内側(精神)と外側(肉体)の感覚はどちらもはっきりしている。
大きく開けた口を天に向けると、わたしは自分自身を黒い煙を吐き出す焼却炉の煙突の様だと思った。

2015年10月17日土曜日

追憶 1132

わたしにできることは何一つない。
しかし、彼女の力になりたいと強く感じる。
わたしにできることがあるとすれば、それは天使や高次元の存在達が教えてくれる知恵を伝えるだけである。
それも、わたしという通訳を通しているために完全なものにはならない。
しかし、不完全な知恵であっても、何かしらの役には立つはずである。
身振り手振りの情報でも無いよりはましであるだろう。

意を決して瞼(まぶた)を開いた。
わたしは正直に体験したことを告げた。
彼女も忘れていたので、わたしの感謝と謝罪に対しては何の実感も得られないようであった。
(しかし、このヴィジョンが事実かどうかは分からない)
無理もないだろう。
わたしも何かを期待して話した訳ではない。
だから、彼女の反応など気にしてはいないのである。
この場合、大切なのはわたしの気持ちであるだろう。
なぜなら、これはわたしのカルマの解消と、彼女とわたしの意識改革(霊的、意識的な世界への興味と気付き)のための学びなのだから。

2015年10月16日金曜日

追憶 1131

結論から言えば、わたしは
今夜
前世の恩返しをしているのである。
前世において、前世のわたしは前世の彼女に助けられている。
その因果が時代を経て、今結ばれるのであろう。
今回の人生において、彼女は様々な無知と誤解を所有し、それによって心を曇らせている。
何かしらの苦しみを抱えているからこそ、わたしを訪ねたはずだ。
彼女にとっては、その心の状態が難しかったのだろう。
それは、前世のわたしにとって、追手が迫ったあの状況が難しかったのと同じである。

2015年10月15日木曜日

追憶 1130

ここまで、前世の記憶だと断定的に書いたが、それを検証することはできない。
脳が生まれた後の体験(実体験、映画や小説、想像など)における様々な記憶の中から適当な情報を一瞬で紡ぎ出し、そこに感情移入することによって前世の記憶と思わせるということもあるのかも知れない。
しかし、それでは夢のように脈絡が希薄な物語になってもおかしくはないように思えてならない。
今回の体験は、断片的な場面を切り取って見せられた(見た)が、わたしにはその前後の状況を既に知っているように思えるのだ。
脳が一瞬で物語の背景をも制作するということもあるのかも知れないので、どうしても検証は難しいだろう。
感情論ではあるが、これは前世の記憶であり、過去の体験であるように思えるのである。


2015年10月14日水曜日

追憶 1129

それは、わたしが自らに課した約束を忘れていたからである。
わたしが見たヴィジョンは、わたしの体験である。
追手から逃げている男はわたしの前世の記憶であり、そこで男を逃がしたのは今日わたしを訪ねた彼女の前世である。
なぜなら、彼女の顔と、白人女性の顔が重なって見えたからだ。
わたしには白人女性が彼女にしか見えなかった。
顔の作りで見れば、二人は全くの別人であると言えるが、中身は同一人物であるとしか思えないのでだ。
不思議なことではあるが、そのように強く思ってしまう。

2015年10月13日火曜日

追憶 1128

一番は、彼女が危険に晒(さら)される可能性が高いことである。
仲間と見なされてしまえば、彼女も無事では済まないだろう。
男は直ぐに立ち去ることを告げた。
彼女は何も言わずに裏口へと向かい、静かに扉を開けてくれた。
小さな声で礼を言って、男は再び月夜を駆けた。
男は彼女への恩を決して忘れないと心に決めた。

瞼(まぶた)の裏を見詰めると、わたしは居た堪(たま)れない気持ちになった。
わたしは瞼を開くのが恥ずかしかったのである。

2015年10月12日月曜日

追憶 1127

周囲を見渡して、誰にも見られていないことを確認する。
扉に肩を擦るようにして家内に飛び込んだ。
扉の閉まる音で、追手の声と足音がこの世から消えてしまったのではないかと思えるほど、家内には穏やかな空気が流れていた。
男は自分が天国に辿り着いたと思った。
しかし、それは一瞬のことであり、自らの荒々しい呼吸が目の前に生と死とを計りにかける天秤を見せたのであった。
振り返ると、先ほどの女性が緊迫の表情で扉に耳を当てていた。
男は脳裏に過(よぎ)る追手のことが気になり、急いでここから出て行かなければならないと思い至った。

2015年10月11日日曜日

追憶 1126

その時、真横に位置する住宅の木製の扉が音もなく開いた。
それは、警戒心を以て外の様子を伺(うかが)う行為であるだろう。
男は扉の軋(きし)む微かな音と、中に潜む警戒心に気が付き、無意識の内に闇夜よりも更に暗い隙間を見た。
男の激しい息遣いと、もうすぐ近くに聞こえる追手の罵声(ばせい)にも似た声と足音が場を繋いでいた。
その時、扉が少しだけ開くと、日に焼けた白髪混じりの白人の女性が、顔を月明かりに映すことを嫌うようにして男を呼んだ。

「…中へ」

彼女のその言葉だけで、男はすべてを察した。



2015年10月10日土曜日

追憶 1125

男の焦りは、体力の消費に力を貸していた。
ある程度走ると心臓が悲鳴を上げたので、膝(ひざ)に手をついて休む他無かった。
追手の息遣いまで聞こえそうである。
頭の中に弱音が聞こえてくる。
それは、諦めて楽になれと言うのである。
しかし、今の苦しみから逃れることはできても、後にはそれよりも大きな苦しみが待ち構えていることを男は知っているのだ。
そのために、目の前の苦しみから逃れる訳にはいかなかった。
心臓が許せば再び走り出そう。
男はそう決意した。

2015年10月9日金曜日

追憶 1124

革の靴(サンダル)は走るのには適さない。
石畳がそれを助長させていた。
男は暗がりの街を懸命に逃げている。
月明かりに照らし出されるのは、石で建築された街並みであった。
小さな石の住宅が狭い通りに所狭しと並んでいる。
男にはそれが迷路のように思えた。
自身の心臓の高鳴りと激しい息遣いに混じって、遠くから切迫した男達の声が届く。
これは、追手によるものだろう。
身体が鈍くなるのと、声が近くなるのが比例している。
このままでは、追手の毒牙にかかるのも時間の問題であるだろう。


2015年10月8日木曜日

追憶 1123

彼女と会話をしながら、頭の中に別のヴィジョンが映し出されていた。
わたしの意識は、彼女との会話よりもそちらのヴィジョンに対して比重を起き始めた。
わたしにはそれを止めることはできない。
そのため、彼女に断りを入れて、頭の中の別のヴィジョンに向かうことにした。

暗がりの中を息を切らせながら走る。
男は焦っていた。
それは、追い手があったからである。
男は捕まる訳にはいかなかった。
それは、目的を達成しなければならないからである。
ここで死ぬ訳にはいかないのだ。
捕まれば死罪は免れないだろう。
心臓が軋(きし)むことを気にしているような余裕は無かった。

2015年10月7日水曜日

追憶 1122

気が付くと、わたしは彼女の背中を眺めていた。
”仕事”に区切りがついたのであろう。
わたしは心を整えて、天の意思を待った。
天の意思は、わたしの内側からやって来る。
それに従って、わたしは彼女の中で体験したことを話して聞かせた。
相槌(あいづち)を打つ彼女には思い当たる部分があるようであった。
話している間も、わたしにはもう一つの働き掛けがあった。
わたしと彼女の会話に割り込むようにして、第三者が話し掛けてくるような感覚である。
それは、わたしの中で徐々に大きさを増していくのであった。

2015年10月6日火曜日

追憶 1121

彼女の意識の状態、人生における学びがわたしを導き、これまでの古い価値観や生き方を手放す必要を迫っているのであろう。
彼女にとっては当たり前の生き方も、これからは変えなければならない。
それは、人生の深い意味に気付き、誰かや常識に決められた人生ではなく、自分自身の人生を生きるためであるだろう。
自分自身の人生を発見し、それを生きることができなければ、本当の意味での幸福を実現することはできないのである。
人それぞれに人生の意味は異なるが、それに気が付かなければならないのだ。
そのための一つの出来事がわたしとの出会いであるだろう。

2015年10月5日月曜日

追憶 1120

彼女も、そんな常識の中に生きている。
わたしも同じような教育を受けて来た。
この時代に生きている大抵の人が、この時代の常識という集合的な思考体系の中に人生を築くのである。
それがわたしたちの心に対して、ネガティブな影響を与えている。
しかし、それが悪いという訳ではない。
それは、心の中に抱えている毒(自我)を吐き出すための必要悪というものであるだろう。
肉体が嘔吐(おうと)を求めている時に、喉の奥に指を差し込むのと同じようなものなのではないだろうか?
彼女がわたしを訪ねたのは、毒を吐き出すためであるだろう。
ある意味において、わたしは彼女が常識的な生き方を手放すためのお手伝いをしているのである。

2015年10月4日日曜日

追憶 1119

天使や仏や守護霊といった存在は、熱心なサポーターのような役割なのではないだろうか?
サポーターが選手の代わりはできないのと同じであるだろう。

現代社会を生きることは、様々なストレスと共に生きることである。
勿論、人間が愚かであり、弱い存在である以上、どの時代にもストレスはあっただろう。
しかし、現代の経済優先型の社会構造は、人の精神を過度に緊張させているように思える。
現代における”普通”の人達は、ストレスを抱え、常に緊張状態を生きているだろう。
不安や心配、怒りや争いによって、目には映らない影響を受けているのである。


2015年10月3日土曜日

追憶 1118

天使や仏や守護霊などの意識的な存在が人間を介するのは、彼等が精神としての状態しか持たないからだろう。
精神によってネガティブな力に触れるなら、すぐに汚れてしまう。
彼等にとって、それは得策ではない。
宗教を信仰している人達は神が助けてくれると思っているが、肉体を持たない存在が直接的に介入することはリスクが高いのである。
彼等は愛情によってそのように働くかも知れないが、汚れてしまえば助けるどころか重荷となってしまうのである。
守護霊程度の存在ならば、簡単に黒く汚れてしまう。
これは、経験上の意見である。
神や意識的な存在が助けてくれるなどということには期待しない方が良い。
所謂(いわゆる)他力本願としての奇跡を信じたところで、それが実現することなどないのである。

2015年10月2日金曜日

追憶 1117

精神的なわたしと肉体的なわたしが協力することによって、結果的に目の前の黒い女を苦しみから解放することができるのである。
肉体とはネガティブな性質を持っているような気がする。
それは、ネガティブなエネルギーの専門家であるだろう。
肉体はネガティブなエネルギーに強いのではないだろうか?
そのため、ネガティブなエネルギーに対応することができるように思える。
精神は、ネガティブなエネルギーに弱い。
彼女の心の中に存在している黒い女は、ネガティブなエネルギーを受けていたが、既に”健康”を失っていたのである。
しかし、肉体的な彼女としては、そのことを認識してはいないだろう。
精神はポジティブな性質を持っているような気がする。
精神はポジティブなエネルギーに強く、肉体はネガティブなエネルギーに強いという性質を理解すれば、選択肢も変わってくるのではないだろうか?
精神力だけでも足りないし、体力だけでも足りないのである。
身体ではなく、心体こそが人間なのだろう。

2015年10月1日木曜日

追憶 1116

光の十字架は黒い女の胸に突き刺さった。
仰(の)け反るように天を仰(あお)いだ女は、口であろう場所から呻(うめ)き声のような低音と、自身よりも更に黒い煙のようなものを吐き出している。
黒い煙が頭上に広がると、女は抜け殻のように沈黙した。
わたしは強烈な気分の悪さを感じ、嘔吐(おうと)しそうになるのを堪(こら)えた。
すると、わたしの肉体が黒い女がそうしたように、呻き声と黒い煙のようなものを吐き出し始めたのである。
肉体を通した時、呻き声は叫び声のようになり、黒い煙はゲップとなる。
肉体を通した時にそれ等は黒い状態を離れて、光の粒になるのだ。
それは軽く、天に輝く光へと吸い込まれるようにして昇っていくのであった。