光の天秤 -自叙伝-
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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2016年3月5日土曜日
追憶 1272
それは、そうでもしなければ人の心は怠慢(たいまん)や傲慢(ごうまん)を楽しむからである。
人が人生の意味や自分の”仕事”を知るためには、残念ながら苦しみが不可欠なのである。
苦しみがなければ、人は大抵のことには気が付けない。
本当ならば、喜びによって気が付くことが理想ではあるが、人の心はそこまで強くないのだ。
放っておけば、快楽を貪(むさぼ)り楽しむのが普通なのである。
そのため、必要に応じて苦しみが導かれ、その心が道を見失わないようにしているのであろう。
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