職を失い、立場を失ったとしても、その人が”自分”を失った訳ではない。
ただ、立場が変わったに過ぎないのである。
”松岡 真”は以前は違う人間であった。
生まれた場所も、両親も、肉体も、性別も、性格も、生き方も…
何もかもが違う人であった。
しかし、”松岡 真”はそれ等の過去を糧(かて)にしている。
”松岡 真”ではない何かが、存在しているはずだ。
それが”自分”なのだとわたしは考える。
そこには、人生の意味が存在しているはずだ。
それこそがわたしを満足させるだろう。
だから、わたしは”自分”を探しているのである。
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