光の天秤 -自叙伝-
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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2016年3月12日土曜日
追憶 1279
多くの人は”自分”というものを、他人の認識の中に探している。
目覚める前のわたしは、自分のことを他人が呼ぶ”松岡 真”だと思い込んでいた。
しかし、わたしは”自分”のことを”松岡 真”とは呼ばない。
それは、他人が呼ぶのである。
他人がわたしの所有する”自分”を知っているだろうか?
残念ながら、それは有り得ないことである。
なぜなら、”自分”のことすら知らないのである。
どうして、他人の所有する”自分”を知ることができるのであろうか?
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