”自分”という存在を考察する時、わたしは密林の中を彷徨(さまよ)うような気分になる。
それは、霊的な存在を認識するまでは思い付きもしなかった疑問である。
”自分”という目的地は、今(当時)のわたしにとっては途方も無い旅路であったことは明確な事実だ。
霊的な存在は、肉体を持たずに存在している。
それも、わたしの存在する時空と重なるようにして。
認識することができない人には、彼等を理解することができない。
わたしは20歳の頃に自らの意思によって霊的な世界を探求することによって、霊的な存在とのコンタクトが成功した。
しかし、これは想像することによって作り出した幻想ではないことは、実体験の中で、他人との認識の符合によって証明することができるだろう。
わたしは、自分勝手に霊的な存在を主張
しているのではなく、他人との共通認識を通して主張しているのである。
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