人は何のために生まれたのであろうか?
わたしたちはこの人生において、何をしているのだろう?
わたしは20歳の頃からこのような疑問を抱き始めた。
それまでは、このような疑問を覚えたこともなかった。
ただ、楽しく、ただ、興奮することができる刺激を求めて生きていた。
人間社会における20年という歳月がわたしに唯物的(例えば資本主義)な価値観を植え付け、わたし自身もそれで良いのだと思っていたし、それ以外の生き方を知ら(教わら)なかった。
そのような価値観では、自分が何のために生まれたのか?人生が何のためにあるのか?そこで何をしているのか?どこへ向かうべきなのか?という人生の本質の部分には関心すら抱けなかったのである。
今にしてみれば、わたしは刹那的(せつなてき)な日々を過ごしていた。
当時のわたしの意識のレベルでは、そのような生き方しかできなかったのである。
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