どのような道を進んでも、やがてそれは宗教的な信仰心を生み出してしまうだろう。
科学を追求する人は、合理的な思考を信仰する。
経済を追求する人は、資産や数字や信用を信仰する。
芸術を追求する人は、色や形を信仰するであろう。
どのような道を進んでも、それはやがて宗教的な形式に落ち着いてしまうように思える。
人の営みは、宗教であると言えるのかも知れない。
わたしには、それが停滞であるように思えるのである。
形式に落ち着いてしまうと、それが正しいと思うのが人の性(さが)であると思うのだ。
人が年齢と共に頑固さを増すのは、無意識の内に形式に落ち着いてしまうからではないかと思うのである。
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