このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年1月11日金曜日

追憶 2287

形式に落ち着いてしまうことには、感覚を麻痺させてしまうという厄介(やっかい)な性質がある。
老女は、図らずも、現状に対する不平不満や泣き言を吐く行為を信仰していた。
それは、現状の老女にとっては、ストレスの発散のために必要なことである。
しかしながら、ストレスを発散するという方法によっては、ストレスから解放されることはない。
ストレスから解放されるためには、ストレスを感じない思考法を確立する必要があるのだ。
何かに対して、ストレスを感じる思考がある以上は、どれだけストレスを発散したところで間に合わないであろう。
それは、穴が空いて浸水している船の水を、バケツで汲(く)み出しているようなものなのである。
どれだけバケツで汲み出しても、水は穴から永遠に湧き出てくるのだ。
浸水を止めるためには、穴を塞がなければならないのである。
穴を塞がない限りは、バケツで水を汲み出す行為は、その場しのぎの方法でしかない。
バケツで汲み出すことに疲れてしまえば、やがて船は沈没してしまうのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿