大きな喜びだけを取ろうとする者には、人を真(まこと)に愛することなど出来はしない。
宗教は好きではないが、キリスト教の結婚式の時に神父?牧師?は、“その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬(うやま)い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?”という言葉と誓いを投げ掛ける。
結婚や愛を継続させるためには、健やかなる時や喜びの時や富める時だけではなく、病める時や悲しみの時や貧しい時も、その状況を受け入れる必要があると言っているのである。
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