光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年2月12日金曜日
追憶 3049
しかしながら、苦しい時の“神”への崇拝(すうはい)は、“神”の意思を受け入れるという謙虚(けんきょ)なものではない。
本来の崇拝は、運命(目の前の状況)を神の意思として受け入れるというものだ。
人生に感謝することが、“神”への崇拝であると理解すれば良いだろう。
苦しむ者の崇拝は、自分が助かりたいからである。
“神”のことなど考えたこともなければ、思いやったこともないだろう。
それは、神社で願い事をしている人達と同じなのである。
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