愛の土壌(どじょう)に実るのは、喜びや平和などであろう。
世の中には、様々な段階の喜びや平和が存在するが、真(まこと)の喜びや平和というものは、愛を基礎(きそ)として成り立つのである。
愛の無い喜びは喜びではないし、愛の無い平和は平和ではないのだ。
真の喜びには、陰陽(いんよう)の区別は薄くなっているのではないだろうか?
良きと悪しきの区別なく喜べることが、真の喜びである。
平和は、喜びにも増して陰陽の区別が薄くなっているように思える。
それは、善悪の隔(へだ)たりを取り除いたところに平和が存在するからである。
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