光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2020年6月25日木曜日
追憶 2818
合理的に発展するということは、傲慢(ごうまん)さが高まるということでもあるだろう。
科学やお金に対する信仰は、“神”に反しているように思える。
もちろん、科学やお金に対する追求は、最終的には“神”に対する追求に他ならないが、その段階の信仰にある人達は、“神”の調和には従わないように思える。
信仰が途中という感覚とでも言えば良いのだろうか?
それは、思春期の子どもが親に反抗するような感覚なのである。
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