自分という存在に何が出来るかは分からない。
しかしながら、何かを果たすために生まれて来ているのである。
自分を身体だと思い、傲慢(ごうまん)に振る舞っている内は、自分という存在が何によって世界に貢献(こうけん)することが出来るかを知ることは出来ないだろう。
大切なのは、身体から離れて、自分という存在と向き合うことである。
自分という存在の能力や役割というものは、自分という存在と向き合わなければ理解することは出来ないのだ。
身体が重なっていると、包装されている贈り物のように、大切な中身が見えないのである。
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