光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2019年6月8日土曜日
追憶 2435
人は、偏(かたよ)ることによって、偏っていたことを知る。
実際に偏っていなければ、偏っていたことを知ることは出来ないのだ。
そのため、どのような人も必ず偏らなければならない。
それは、自我意識への偏りかも知れないし、非我(ひが)への偏りかも知れない。
人は、どちらにしても、傲慢(ごうまん)か虚無(きょむ)のどちらかに陥(おちい)らなければならないのである。
それは、人生の失敗である。
しかしながら、人は失敗という苦しみから人生を学ぶことが出来るのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿