このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2020年4月30日木曜日

追憶 2762

しかしながら、小さな蚤(のみ)やダニは時に感染症を引き起こす。
血を吸う蚤やダニが多い程、感染症が引き起こされる可能性は高まるのである。
地球上に人間が増えることは、自然環境の破壊を意味している。
人間が増える程に、自然環境から奪う人が多くなるからだ。
人間が多い方が良いと考えるのは、資本主義を信仰している人達であろう。
資本主義を成り立たせるためには、人間が多い方が良い。
それは、需要(じゅよう)と供給と消費の規模が大きい方が、経済は活発であるからだ。
それに、資本主義社会において富の集積に成功するためには、多くの敗者が必要なのである。

2020年4月29日水曜日

追憶 2761

ガイア理論という考え方がある。
ガイア理論とは、地球を一つの生命体とする考え方のことである。
地球が一つの生命体だと考えれば、人間は蚤(のみ)やダニのようなものであるかも知れない。
わたし達は、地球(自然環境)から多くの恵みを得ている。
わたし達が生きる糧(かて)は、何から何まで地球からの恵みなのだ。
わたし達は、地球に生かされているのである。
蚤やダニは、動物に寄生し、血を吸って生きている。
動物は、小さな蚤やダニに血を吸われたところで、痛くも痒(かゆ)くもない。

2020年4月28日火曜日

追憶 2760

争いに勝った者(企業)が、最も多く自然から奪う権利を得る。
そして、最も大きく自然環境を損なうのである。
皆が自然環境から奪い続けた結果、自然環境は大きく様変わりした。
自然環境の現状は、人間だけが原因であるかは分からない。
太陽の活動によって影響を受けるということもあると言われている。
しかしながら、今日(こんにち)の自然環境を築いた大きな原因は、人間の傲慢(ごうまん)で身勝手な経済活動であると言えるだろう。

2020年4月27日月曜日

追憶 2759

それは、大きい企業程、利益を優先するものであり、利益を優先しなければならないからである。
会社が大きく成る程に、利益を奪い合う争いも激しくなる。
企業は、株主や社員や取引先のために、利益を得なければならないのだ。
利益を上げるためには、奪わなければならない。
そして、争いに勝たなければならないのである。

2020年4月26日日曜日

追憶 2758

大企業は、様々な宣伝(せんでん)を使ってクリーンなイメージを植え付けてくる。
環境に優しいとか、人々の生活を豊かにするとか、企業や商品を賛美(さんび)する宣伝文句を繰り返し謳(うた)う。
“普通”の人は、企業の打ち出す宣伝を信用する。
多くの人は、宣伝文句を鵜呑(うの)みにするのである。
残念ながら、どのような企業であろうとも、大きい程に自然環境には悪影響であるだろう。

2020年4月25日土曜日

追憶 2757

財産を保有することが悪いということを言いたいのではない。
“紙(紙幣)”を信仰することによって、“神”への信仰を失い、傲慢(ごうまん)に陥(おちい)って調和を乱すことがいけないと言っているのである。
金は、人を狂わしてしまう。
大抵の人は、金の魔力に魅入(みい)られて狂ってしまうのだ。
大規模な企業である程、自然環境を壊している。
現代の経済活動の大半は、結果として自然環境を壊してしまうのではないだろうか?
小規模な経済活動であれば、自然環境の役に立つであろうが、大規模な経済活動は自然環境のキャパシティーを超えてしまうのである。

2020年4月24日金曜日

追憶 2756

自然環境や人の命よりもお金の方が大切だと考えるのは狂(くる)っていると言わざるを得ないだろう。
歴史的には、キリスト教の国々は、“神”を正義として世界中を侵害(しんがい)し、自然環境と文化と財産と人命を破壊して奪い去った。
それは過去のことであり、今は違うかも知れない。
しかしながら、キリスト教の主要な宗派は、世界でも有数の黄金の保有者である。
その黄金は、過去に世界中から奪い去ったものであり、今日(こんにち)まで集め続けたものであるだろう。日本の仏教や神道や有名な信仰宗教団体も、多くの財産を保有している。

2020年4月23日木曜日

追憶 2755

それは、キリスト教や仏教の教会や寺院を見れば分かることである。
基本的に宗教というものは、偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)である。
キリスト教ではイエスを、仏教では釈迦(しゃか)を偶像として崇拝(利用)したのが始まりなのではないだろうか?
絢爛豪華(けんらんごうか)な建物や衣服や装飾品(そうしょくひん)を見れば、その本質が資本主義信仰であることが分かるだろう。
人の世において、お金は大切な道具であるが、それが信仰の対象に成ることは歪(ゆが)んでいるのである。

2020年4月22日水曜日

追憶 2754

資本主義の“神”とは、“紙(紙幣)”のことである。
金属や紙に価値を与え、尊(とうと)いと崇(あが)めるのが資本主義という宗教の形である。
この世で最も大きな宗教が資本主義であるだろう。
その次が科学というところである。
例えば、キリスト教や仏教という宗教も、“神”を信仰するという皮を被(かぶ)った資本主義の宗教であるということを理解しなければならないだろう。
イエスや釈迦(しゃか)の手を離れた瞬間から、資本主義としての宗教に染まり始めたのである。
今では、イエスや釈迦の教えは、恐らくはどこにも存在しないだろう。

2020年4月21日火曜日

追憶 2753

大抵の人は、政治やメディアの影響によって価値観を形成している。
残念ながら、自分自身で築いた価値観というものは存在しないだろう。
誰もが、誰かからの影響を受けている。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付かない。
多くの人が物質的な豊かさを追い求めるのは、そのように教育(洗脳)されているからに他ならない。
政治やメディアは、資本主義という宗教を信仰(しんこう)している。
政治やメディアは、経済成長こそが豊かな人生であると信じ込ませようとしてくるのである。

2020年4月20日月曜日

追憶 2752

本質以外は何でも購入することが出来るだろう。
本質以外のことは、何でもお金で解決することが出来る。
世の中には、お金という川が流れており、その流れに逆らうことは難しい。
大抵の人はお金の流れに逆らうことが出来ない。
政治もメディアもお金に逆らうことは出来ない。
政治は経済を中心に動くし、献金する企業や団体に逆らうことは出来ないだろう。
メディアにはスポンサーがいて、スポンサーに有利な情報を発信しなければならないし、不利な情報を発信することは出来ないのである。

2020年4月19日日曜日

追憶 2751

選挙制度が公平に行われているかは分からないが、選挙制度自体は公平に行われていたとしても、票は公平には扱われないであろう。
純粋に立候補者のマニュフェストや人柄で判断し、“清き一票”を投じる人は少数派であるだろう。
多くの人は、自分に何かしらの関係のある立候補者に票を投じると思われる。
会社員が立候補するよりも、企業の代表が立候補する方が票が集まるのはそのためであるだろう。
経済的にお世話になっている人や弱みを握られている人に票を投じるのが普通である。
ある意味で、票は買われているのだ。

2020年4月18日土曜日

追憶 2750

彼等が手に入れたいものは、物質的な繁栄と、自分達に従順(じゅうじゅん)な人間の心であるだろう。
漫画や映画の悪役が世界制服を目論(もくろ)んでいるが、そういう人達が実際に存在するのである。
そういう欲深い人達が、世界に破滅を持ち込んでいるのだ。
世の中には、支配する側と支配される側の人間が存在するだろう。
民主主義とはいうが、世の中が民主主義的に展開したことがあるのだろうか?
残念ながら、わたし達には、それを確認する術がないのである。

2020年4月17日金曜日

追憶 2749

一握りの人達は、大義名分を掲げて戦争をしたいのかも知れない。
それは、金儲(かねもう)けのついでに、人口削減(自分達が快適に過ごすための自然環境や、水質、食料の保護のため)や支配制度の確立に寄与(きよ)するだろう。
世界が戦争に陥(おちい)った時に利益を得ることになる者達が、世界に争いをもたらす一握りの人達で間違いないであろう。
人々が、取るに足らない利益を奪い合うように、一握りの人達も手に入れたいものがあるのだ。



2020年4月16日木曜日

追憶 2748

コロナウイルスが蔓延(まんえん)した世の中を想像してみよう。
それは、決して望むべき状況ではないが、これから、そのような世の中に成る可能性は十分に考えられるのである。
疫病(えきびょう)の蔓延によって、経済崩壊や食糧危機という二次被害が引き起こされるだろう。
それは、争いの火種となる。
争いの炎は、人から人に燃え広がり、民族間から国家間へと広がるだろう。
そして、やがては大戦という可能性も考えられるのである。

2020年4月15日水曜日

追憶 2747

砂漠という危機的状況においては、お金には価値が与えられないだろう。
あなたは、砂漠でお金が欲しいと思うだろうか?
残念ながら、砂漠では、”紙”など欲しいとは思わないだろう。
砂漠では、お金がどれだけあっても、どうしようもないのである。
砂漠という危機的状況において価値があるのは、本質的なものなのだ。

2020年4月14日火曜日

追憶 2746

砂漠においては、誰もが全財産をなげうって水や日除けを手に入れようとするだろう。
砂漠という危機的状況においては、お金には価値がないのである。
それは、砂漠においてお金はただの“紙”であり、その本質は幻想だからである。
価値とは、売り手や買い手が必要によって決めた暫定的(ざんていてき)な数値である。
価値は決して定まってはいない。
価値を与えれば価値があり、価値を与えなければ価値は無いのだ。



2020年4月13日月曜日

追憶 2745

お金に価値があるのは、安寧(あんねい)の世の中だけである。
物が溢れ、豊かな暮らしをしている時にだけ、お金に価値が与えられるのだ。
世の中が荒れている時には、残念ながら、お金には価値が与えられない。
例えば、砂漠においては、お金には価値が与えられないのと同じことである。
世の中に問題が生じ、安寧が脅(おびや)かされると、人はお金よりも優先順位の高いものに価値を与えるだろう。
砂漠では、お金よりも命や水や日除けの方が優先である。
砂漠において、命や水や日除けよりも、お金を優先する人は恐らくはいないだろう。

2020年4月12日日曜日

追憶 2744

競争や争いによって良いものが生まれると信じている人がいる。
しかしながら、競争や争いを選択することなく助け合えば、より良いものがより早く生まれるだろう。
しかしながら、資本主義者はそのことに気が付かない。
もしくは、そのことに気が付いていても、隠しているのである。
それは、怒りや恐怖の感情を使って、出来るだけ多くの人を資本主義にとどめておくためであるだろう。
怒りや恐怖の感情を使って、お金には価値があるという幻想を信じ込ませているのである。

2020年4月11日土曜日

追憶 2743

資本主義に根差して生きることは、決して悪いことではないだろう。
それは、成長の過程においては、そのような時期は必要だからである。
しかしながら、資本主義は、争いの性質が強いということを理解しなければならないだろう。
資本主義者は、経済活動を活性化することによって、互いに協力し、助け合うことが出来ると主張するかも知れない。
しかしながら、資本主義の本質は競争することであり、協力することではないのだ。

2020年4月10日金曜日

追憶 2742

しかしながら、値段によって価値判断が行われるのは、資本主義の範囲内である。
もちろん、この世の中には値段の付かないものはたくさん存在する。
資本主義者は、すべてに値段を付けて、価値を計っているということなのである。
今日(こんにち)の文明では、資本主義者が幅を利かせている。
そして、多くの人がその生き方や生活や財産に憧れている。
多くの人は、彼等のような金持ちに成りたいと思っているのだ。

2020年4月9日木曜日

追憶 2741

今日(こんにち)の世の中には、資本主義が蔓延(まんえん)している。
すべてのものに値段が付けられ、金額によって価値が判断される。
金額の高いものは価値が高く、金額の低いものは価値が低いというのが、世の中の基準であるだろう。
金額の高いものは良いものであり、金額の低いものは悪いものという認識がある。
もちろん、金額の違いには、相応(そうおう)の理由がある。
同じ用途に使うものであれば、金額の高いものの方が使い勝手や品質は良いのである。

2020年4月8日水曜日

追憶 2740

常識というものは、教育によって築かれた偏見(へんけん)に過ぎない。
常識というものが正しいというのであれば、それはどこでも同じ形をしていなければならないはずである。
しかしながら、常識というものは、ところによって大きく異なっているものだ。
それは、常識というものが偏見であり、正しいものではないということを示しているからであろう。
それに、常識というものはすぐに覆(くつがえ)ってしまう。

2020年4月7日火曜日

追憶 2739

多くの人は、常識というものに従(したが)って生きている。
多くの人は、それが正しい生き方だと考えているだろう。
常識に従って生きることが悪いというのではない。
しかしながら、常識に従って生きることによって、自力で考えることを放棄(ほうき)してしまう可能性があるということを理解しなければならないのである。
自力で考えることをしなければ、何者かによって操られてしまうということを理解しなければならないだろう。




2020年4月6日月曜日

追憶 2738

そのような一握りの人間が、強い権限によって自然の和を乱すのだ。
一握りの人間が膨大な利益を貪(むさぼ)っているために、自然の和が崩れている。
それが、自然災害(人災)などの問題として人類を襲うのである。
人は、自分達の歪(ゆが)みの代償を受け取らなければならないのだ。
大抵の人は、慎(つつ)ましく暮らしているし、そのような人生を望んでいるが、無意識の内に一握りの人間の歪んだ思想に荷担(かたん)しているということを理解しなければならないだろう。

2020年4月5日日曜日

追憶 2737

大抵の人は、目の前の幸せを追い掛けているに過ぎないのである。
例えば、大抵の人は、世の中を思い通りにしたいとは考えないし、人類を支配したいなどとは考えないだろう。
大抵の人は、小さな欲求を満たしたいだけなのである。
しかしながら、ほんの一握りの歪んだ思想に従(したが)う人間は、世の中を思い通りにしたいと考えているし、人類を支配したいと考えているだろう。
漫画や映画の悪役のような傲慢(ごうまん)な思想に従う人間が存在するのである。

2020年4月4日土曜日

追憶 2736

責任のある立場の人間は、自分達に怒りの矛先(ほこさき)が向かないように立ち振る舞うだろう。
なぜなら、彼等は、自分達が利益のために自然環境を破壊していることを知っているからである。
そして、自分達が最も歪んでいて、汚れていることも知っているだろう。
それを、歪んだ思想や信仰によって正当化し、美化しているのである。
大多数の人間は、慎(つつ)ましく暮らしている。

2020年4月3日金曜日

追憶 2735

人々は、問題の大きさから、自分達の腐敗を理解するだろう。
しかしながら、自分達の腐敗を理解することの出来る人は少ないと理解しなければならないのである。
大抵の人は、コロナウイルスや発生源とされている中国、そして、政治家や企業などに対して怒りの矛先(ほこさき)を向ける。
コロナウイルスに対して怒りの矛先を向けるのは間違っているが、多くの人はそうしてしまう。
それは、国や企業などの、責任を負わなければならない立場の人がコロナウイルスが敵であると誘導(ゆうどう)しているからである。



2020年4月2日木曜日

追憶 2734

それは、人の心や世界を汚すが、それで良いのである。
なぜなら、人は、自らの傷口から溢れ出た膿(うみ)を見て、自らの汚れに気が付くのである。
浄化を完成させるためには、隠された腐敗を絞(しぼ)り出す必要があるのだ。
人の心や世界は”ある程度”浄化されるだろう。
残念ながら、完全に浄化されるということは無い。
浄化が”ある程度”完成した時、今回のコロナウイルスによる騒ぎも終息(しゅうそく)するであろう。
しかしながら、浄化がいつ完成するかは分からない。
それは、人の心や世界の汚れ具合によるのである。

2020年4月1日水曜日

追憶 2733

今回のコロナウイルスは、あらゆる集団の腐敗(ふはい)を暴き出すだろう。
病を隠そうとしても、それは必ず症状(しょうじょう)として現れるのである。
残念ながら、腐敗をいつまでも隠し通すことは出来ないのだ。
膿(うみ)は皮膚を裂いて溢れ出て、腐敗臭を撒き散らす。
それが浄化の過程なのである。
人々は、見えないウイルスに怯(おび)え、不安や不満を世界に撒き散らすだろう。