光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年3月7日日曜日
追憶 3072
自分が“神”の道具だと知っていたのであれば、都合の悪いことも楽しむような思考になれたかも知れない。
しかしながら、当時のわたしは、嫌々ながら何かを行なっていた。
やりたくないことをやりたくないと思いながら行っていたのである。
それは、自分というものを知らなかったし、知る術もなかったからである。
幼い頃のわたしには、目の前の体験の意味が分からなかった。
存在している実感というものがなく、浮遊しているような不思議な感覚で生きていたのである。
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