光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年3月22日月曜日
追憶 3087
それが“普通”の感覚である。
“普通”とは、常識のことであり、良いということだ。
多くの人は、良し悪しで隔(へだ)てることを善だと思っているのである。
それは、多くの信者を取り込もうとした宗教の企(たくら)みであったのかも知れない。
宗教を持続させるためには、敵がいた方が良いし、不安や心配は大きな方が良いのである。
敵がおらず、不安や心配も無ければ、恐らくは宗教は今とは違う形に成っていただろう。
イエスやゴータマの説いた教えが、オリジナルに近い形で残っていたのではないだろうか?
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