わたしには、自分というものが分からなかったのである。
ここで言う自分というのは自我のことだ。
わたしには、自分を貫(つらぬ)いてまで何かを実現しようとする気概(きがい)というものがなかった。
遠慮(えんりょ)の強い子どもだったように思える。
引っ込み思案(じあん)というのか、単純に知性が足りなかったのかは分からないが、立派に何かを成すということが出来なかったのである。
しかしながら、身体が大きく力も強かったためか、周囲の大人からは期待されることが多く、自分と他者からの評価や期待の差に苦しんでいた。
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